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平田禿木は英文学学者で、1873年(明治6年)に生まれ、1943年(昭和18年)に死んでいます。
故グレエ子爵「25年回想記」と「ファロドン雑講」を読んで、グレエ子爵が読書についてこのようなことを言っていると書き残しています。
「書物こそは最も偉大な、また最も心ゆく楽しみである。他でもなく、快楽のために書物を利用することをいふのである。書物がなければ、快楽のために読書する力を身につけていなければ、何人も独立不羈とは云ひ得ない、が、読書することができれば、我々は独り寂しくゐ際の退屈に対して、確乎たる防御を有ってゐるわけである。その防御がなければ、退屈を免れるのに、家族とか友達とか、時には見知らぬ人々の慈悲にさえ頼らなければならないのである。ところが、読書に快楽を見出し得るとすれば、長途の汽車の独り旅も決して退屈なことはなく、長い冬の夜も、我々に取って快楽に対する無限の好機会なのである」
私もこの退屈な正月休みを青春文庫からダウンロードしてこのような本を読んでいます。家で寝転がってほんを読んでいる限り、カネは出て行くことはなく、貧窮している私には時間を消去するにはもっとも有効な手段になっています。しかしグレエ子爵の自邸には猟ができる広大な「大森林」があり、川も領地に流れていて、鱒釣りもできます。鴨の飼育場もあり、読書以外にも楽しみが多くあります。それにもかかわらず図書館すらあるのですから、イギリスの貴族の豊かさは比較になりません。私のように狭いあばらやに棲んで、灯油を節約するために炬燵にもぐりこんで、まるで越冬する芋虫のように縮みこもっているのとは大違いです。しかしながら、読書があることで、正月早々、閑だからと言ってパチンコ屋に行ってなけなしのゼニを失うというような危険性はありません。現代では「見知らぬ人々の慈悲」に頼るということは、その対価として高いゼニを払わないといけないような仕組みになっています。キャバクラにしても映画にしても同じことです。一見無料だと思われるテレビも鬱陶しいコマーシャルを見ないと次に進まないようになっています。NHKは視聴料を払っているのですから何かを言わんかやです。いまも「鼠小僧」というドラマの宣伝をしていますが、この古臭い題材を蒸し返してやっているのかと思うともう少し視聴料を安くしてほしいと思うくらいです。