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私も69歳になり、後何年生きられるかわかりません。私の興味も生きた人間よりも死んだ人間に向かっています。将来生きられるだろう時間と、過去過ごした時間を比べてみると断然過去過ごした時間のほうが長いので、おのずと眼は過去に向かわざるを得ません。将来には希望を見出せませんが、過去には思い出が詰まっています。
この本の最初にでているのは横綱の栃錦です。1990年に亡くなっています。64歳です。相撲取りでは私は「松登」が好きで、どんな相手でもこの松登は「ぶちかまし」という戦法をとっていました。単にドッと突っ込むだけで、よくいなされてゴロンと土俵で転がされていました。しかし解説の神風親方の、真っ向勝負の逃げない松登の相撲は賞賛に値するとよく言っていました。子供ながらにもこの松登の相撲に心酔し、生き方も松登のような生き方を志しましたが、世の中そのような単純な戦法ではらちがあかないもので、キミマロの言うところの「登りきってもいないのに下り坂」のような状態になっています。1990年には池波正太郎67歳、藤原寛実60歳、私の歳よりはやく死んでいます。
1991年には毛沢東の第二夫人の江青も自殺しています。77歳です。私も
毛沢東語録の赤い豆本を買って、「造反有理」などの言葉を知りました。
1992年には将棋の真剣師小池重明が44歳で死んでいます。この人、広島にも来て、広島の強い人もこの小池に何十万円もとられています。単に将棋だけが強くても世の中うまく渡れません。反対にアマチュアでは将棋が強ければ強いだけ悲惨な人生が待ち受けていると思ったほうが間違いありません。私の友達の、県代表にもなった人も、借金をかさね、広島の地から逃げ去りました。この年には将棋界の重鎮大山康晴も69歳で死んでいます。正に私と同じ年です。死ぬ間際までA級に留まった棋士は過去にも未来にも出てこないでしょう。ただし未来にもプロ棋士という職業があればという話ですか。この年には作家の中上健次46歳、ガンで死に、死刑囚の永山則夫48歳で絞首刑で、女優の太地喜和子は溺れて死んでいます。永山の死ぬ前は大暴れしたそうです。過激派の一人が証言しています。風船オジサンという人もいました。この年太平洋のどこかで行方不明になりました。
1993年にはハナ肇、田中角栄、逸見政孝。逸見政孝はアナウンサーですが、ガンで内臓の大部分を摘出し、ほどなくして死にましたが、果たしてこのような手術でよかったのだろうかと考えさせるものでした。