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印象に残ったのは、30歳ころまでに顔認識能力は完成するということと、日本人などアジア人は相手の目に注目しているが欧米人は相手の口元に注目しているということ。
もう赤ちゃんぐらいで顔認識はあるだろうと思っていますが、相手の顔から相手の心情をうかがい知るのは30過ぎてからやっとできることだと言っています。
日本人など相手の目を見つめて話すことはないのですが、相手がサングラスなどかけていると、不審に思ったりします。欧米人は彼らの地でマスクした日本人を見ると、蜘蛛の子を散らしたようにサーと離れていきます。時には唾をひっかけられたりします。コロナに関係なく前々からそうです。マスクしないのが普通です。最近のコロナでやっとマスクするようになりましたが、コロナが終息し始めるとすぐさまマスクを取り外しました。口元をマスクで覆うのは欧米人にとって不信感をもたらせます。無意識のうちに吸血鬼のことを思っているのでしょう。気軽にキスする習慣がありますから、マスクで口を隠されると、そこには牙があるのではないかと恐れるのでしょう。握手も俺は武器を持っていないというデモンストレーションですから、マスクなしの口は武器を持たない手と同じことになるのだと思われます。
岸本英夫は東大で宗教学を教え、島田裕已の先生です。アメリカ研究派遣中ガンになり、座禅で心の動揺を抑え込んだとふうに装ったが、当時ガンは不治の病であり、宗教学者としてそのような態度をせざるを得なかったのだが、実際は覚醒したという気分ではなかったということを告白しています。その辺の事情を「碁餓鬼」でこう書いています。
「ところが、その時、碁を並べてみて驚いた。碁は正直なものである。いくら並べてみても、いつものように食い入るようなおもしろさが少しも湧き上がってこない」
理性では解決したような態度を取っていても、心情が、なんで私がこのような病魔に侵されないといけないのだという理不尽な思いに駆られていたのでしょう。私はこれを読んで私の寿命はまだ続くのではないかと思いました。何しろいまだに将棋がおもしろく日に何回もインターネットで将棋をしているからです。岸本英夫よりも知性もなく、毎回同じようなことをやっていても飽きることがないのです。同時に私はこの将棋をボケの定点観測に使っています。
還暦(満60歳)古希(満69歳)喜寿(満76歳)傘寿(満79歳)米寿(満87歳)卒寿(満89歳)白寿(満98歳)百寿(満99歳)となり、私はそろそろ喜寿になるので、ここ二、三年体調の悪さで家に引っ込んでいますが、本当はこの歳まで生きたということは喜ぶべきことだと思わないといけません。
1947年生まれ、私と同じ歳だ。日韓の犯罪協定によって、韓国の刑務所に送致され、今は韓国に住んでいる。大阪に生まれ、数々の経済問題にかかわり、ヤクザとの付き合いも多く、それでも自分はヤクザではないと言っている。何百億の話になると自ずと政治家やヤクザが群がってくるのであろう。カネのあるところ女性も群がり、クラブのママなどマンションなど買ってもらっていい思いをしたことであろう。家族も三つもち、娘3人息子3人をもうけている。この本の出版が2021年で、2年たっているが、許永中は元気なのだろうか。もはや日本に戻ることはできない。
許永中が大きくなったきっかけは、被差別部落の同和政策にある。小さな水道工事会社を買って、それを同和会社にし、優先的に公共事業の受注を取り出したことによる。その会社は知り合いに任せ、許永中は得た資金を「投資」に回しました。ピケティ―の言うところ、水道管をつなぐ労働者より、資本を動かす資本家のほうが稼ぎがいい、とかいったとか言わないかは知れませんが、それから輪をかけて大きくなったのです。それも単なる資本家ではありません。自分の肉体を使って、暴力を前面に押し出す資本家です。これは二代目の御曹司にはできないことです。晩年ヤクザに殺されそうになりましたが、韓国に送致されたということは、案外身の安全につながったということになります。
新潮、文春、朝日新聞など橋下徹へのネガティブキャンペーンの最も問題なところを、橋下徹自身が言っています。
「僕は公人なので、両親、先祖について必要に応じて報じられるのも仕方がない。虚偽の事実でない限りは名誉棄損にはならないと、法律家なので知っています。それが事実であれば報じられることも当然だと思う。今回、問題視しているのは、自分のルーツ、育てられた記憶もない実父の生き様、当地域が被差別部落という話について、それが僕の人格を否定する根拠として、先祖、実父を徹底的に調査するという考え方を問題視している。僕が許されない人格が何なのかと言えば、血脈、DNA、先祖、実父という発想のもとで、どんどん僕と無関係の過去を無制限に暴き出していくということは、公人であったとしても認めることができないし、違うと思う」
明治時代水平社が始まった頃と同じことを、これらマスメディアはやっていることになります。朝日新聞など日本の知性と言われますが、これだとずいぶん怪しいものであります。差別はいけないといいながら、被差別部落を持ち出して差別するのですから、何かをいわんやかなです。橋下徹一人だけではありません。「ハシシタ」書かれた人は嫌な思いになったでしょう。橋下徹のように弁が立つ人なら切り抜けるでしょうが、一般人は泣き寝入りでしょう。