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600万以上の貯金があったにもかかわらず、刑務所の看守にバカにされ、大きなことをしでかして看守をみかえしてやろうというのが動機です。パンツ一丁というのは服を着ているとその服から犯人がわかりやすいという、常人には訳の分からない考え方です。パンツ一丁の方がよっぽどか目立つだろうと思いますが。
福岡でストーカー殺人事件がありました。最近の裁判でもこの種の事案が多くなっています。男の変なプライドは困ったものです。凶暴性が予想されるストーカーに対しては、警察は女性に電気銃を与え、その撃ち方の訓練を提供すべきだと思います。日本もアメリカ並みになって、自分の身は自分で守らないといけないような状況になっているのかもしれません。裕福な高齢者を狙う三人組が強盗事件を起こしています。このような連中にはマシンガンが必要ですが、そうはいかないので、最低でも電気銃の貸与を認めるべきです。
小学生が読む本です。この前大阪湾で死んだクジラを紀伊半島先の深海に沈めるということはいいことです。深海の生物にとってはまたとない御馳走です。肉は肉で魚や蟹やエビなどが食らいつきます。骨にすらホネクハナムシがまとわりつき、骨の栄養素を吸って生きています。人間も石油がもったいないので、深海に埋葬したほうが二酸化炭素の削減になるかもしれません。日本の周りは深海だらけで、標高8000メートルの台地に住んでいるようなものです。この前の東北大震災で東に50センチほどもずれているそうです。南海トラフの地震も予想されていますが、へたをすると日本全体が崖崩れで、大海溝にはまり込むかもしれません。地球の景観は刻々と変わっていくようで、ハワイは年間8センチほど日本に近づいてきています。
藤原実資が1021年右大臣になって、1022年までの記録です。今から1000年前の出来事です。これを見ると人類の脳の増加は社会が複雑になったことによるという学説もわかるような気がします。京都御所では何よりも位階が大事であり、実資の日記にはその日であった多くの人物の名前と地位が載っています。その記憶力の確かさで、藤原道長の本流ではなかったが、遅ればせながら60過ぎで右大臣になりました。道長も実資の記憶の確かさと儀式のやり方の精通さに不本意ながら右大臣に任命するほかなかったのでしょう。その後天皇家に嫁いだ道長の娘も次々亡くなり、7年後道長も亡くなります。栄華はあっという間になくなるということがよくわかります。実資は道長の死後20年も生き永らえ90歳で亡くなっています。無理のない生き方をしたのでしょう。
菊池姓は東京にも、九州にも、高松にもいます。武将であり、大名についてあちらこちらと鞍替えしたのでしょう。菊池寛は高松の出身で、先祖は高松藩の儒生でありました。寛の父親は小学校の庶務係で、貧乏のため寛は東京師範学校に入学したが、「放縦不羈」で除籍され、明治、早稲田などにいてやがて第一高等学校に、それから東京大学へと行きます。ところが卒業三か月前マント盗難事件で友をかばい、自分が責を負って退学します。京都大学を受験し入学し卒業したのは28歳の時です。時事新報社に入社し、「文学士」様ですから初任給も社で最高の79円ももらっています。高松から富貴の娘と結婚し、文学で飯を食う自信がついたので、独立し、文藝春秋社を起こし、編集後記的なものの「話の屑籠」で当時の世相・事件などの感想を書き留めています。心臓が悪く50歳までしか生きられないだろうと言っていましたが、敗戦後の昭和23年に60歳で亡くなっています。戦前では彼は中道右派の態度をとり、左翼の過激な思想には染まらないで、改革も穏便になすことを希望し、コチコチの右翼の、天皇を持ち出して相手を黙らす勢力には苦々しい思いを表明しています。しかし太平洋戦争がはじまると、文学者を組織し、自らも戦地に行って兵士たちを鼓舞し、帰って戦地の記事を書き、挙国一致の精神を説いています。それによって戦後はパージを受け、文藝春秋社も解散してしまいます。