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明治21年生まれ、昭和45年に亡くなり、82歳の長寿でした。明治時代は特に大きく変わった時代で、商売も同じく様変わりが激しい。明治の40年ちょっとで、ランプ屋からガスの光になり、最後は電気になっています。店のはやりすたりも多くて、あの潰れそうもない大店がいつの間にかなくなっています。大店だけではなく、街中を体一つで物を売っている個人商売人も多い。居合抜きとか、三味線を奏でて歌いながら菓子や薬などを売っていく商売人もいました。ガマの油の軟膏などインチキなものだったかもしれませんが、居合抜きの芸の達者で、たとえ騙されたと思っても悪く思う人はあまりいなかったのではないかと思われます。これからも先、商売も変わっていくと思われますが、どうも個人でどうにかなるといった商売は出てこないような気がします。食い物商売では個人でも何とかなるかと思われますが成功するにはとてつもない努力が必要になります。そうかといってサラリーマンも成果を出さないといけない状態なので、これから先ますます厳しさが増すということは間違いありません。
第一世界大戦が終わり、不景気になり、労働運動や米騒動が起こった大正前半に書かれた随筆集です。今も同じことを言っていますが、当時でも魯庵は日本人の労働者の我慢強さに感心しています。この俸給では食っていけないのに節約に節約を重ね、中間層の体面を維持しようとする俸給者に自分の身を重ね、日本の辛抱強さに驚嘆しています。この頃魯庵の一家全員が病気になり、看護代が魯庵の収入を超えたりしています。家族だけではなく女中二人も病気になり、バナナを食いたいとか、リンゴを食べたいとか贅沢三昧を言い、腹を立てています。またこの時代には成金もいて、北海道の画家ですが、息子のフランス留学について行き、帰りにフランスの売春婦を連れて帰り、日本の正妻に花束を渡すように強要したバカがいたそうです。第一次世界大戦後のできた国際連合に日本は人種平等の法案を提出しましたが、このように日本国内での婦人の地位、朝鮮人差別など引き合いに出され、なすすべきもなく廃案にされました。魯庵はこの当時に日本を、日清、日露でたまたま勝ち、この第一次世界大戦で濡れ手に粟の幸運をつかみ5大強国になりましたが、実際は文化レベルも低く、誇れるようなものは何もないと言っています。
魯庵は長女を幼くして亡くし、次男は野球の練習のし過ぎで結核になって死んでいます。さぞかし残念であったことでしょう。
日本の金持ちたちは日本の銀行の通帳をやめてアメリカの銀行の通帳に代えているようです。日銀の金融緩和策とアベノミクスでは円安が進行し、反対にドルの価値が増えるからです。今1ドル135円くらいです。それが倍になると、労せずして日本円で1000万円が2000万円になるのです。日本の銀行では利子も小数点2桁ほどで、ほとんどつかないが、アメリカでは数%はあります。少子化と老人ばかりの日本はもはや発展の余地がないようです。金持ちたちはそれに気づいて自分たちの富を移転しているのです。経済に敏くなろうとしたら、円で考えてはいけません。「ドル頭」で経済を見ないと世界の実情を知ることができないのです。そのうち日本はG7から追放されるでしょう。もういい格好はできなくなります。我々は早くからそれに気づき、世界に援助するなんぞ身分不相応なことで、せいぜい国民を飢えささないように無駄なお金は使わないようにしないといけないようです。