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ほんの四か月前、栄養失調、貧血、肺疾患で入院していた私にとって、この本は統一教会のカルマ書のような影響を与えました。人間は弱くなり祟り目になると信じやすくなるというのがわかります。この本では「無添加白だし」で大体の病気が治ると、数多くのかつての病人たちが言っています。統一教会の教義は荒唐無稽のインチキですが、「無添加白だし」の微小のミネラルという考え方は信ずるに足るような気持ちになります。家庭浄水器で「純水」を作る高い機械がありますが、このような蒸留水を飲んでいたのでは病気になるそうです。水澄んで魚住まずということわざがあるように、純水は生きものが飲むものではなく、半導体や原子力の洗浄に使うほかありません。
「無添加白だし」とは昔ながらのだしの取り方でいいのです。いりこや昆布やカツオでだしを取ればいいのです。私は夏の間いりこでだしをとっていません。だしをとったあとのいりこが腐敗して臭くなるからです。夏はインスタントの顆粒のだしの素を使っていますが、これではミネラルがないそうで、さっそくスーパーに行って、いりこや昆布の粉末を買ってきましょう。再び元気ななる予感がしてきました。
未だにこれらの組織が日本に害を与えていると知るとびっくりする。何と日本はお人よしが多いのであろうか。韓国、日本、アメリカに信者はいるそうですが、日本信者ばかりがカネを拠出し、それらのカネで韓国やアメリカは楽しい信者生活をしているようです。日本はサタンであるというバカバカしいキリスト教の屁理屈をこねていますが、実際は日本の韓国併合前の李朝の再現です。日本はペクチョン(奴隷)で、自分たちは安楽な両班になりたがっているのでしょう。李朝の下級民は何もかもり両班に取られるのであまり仕事もせず、余剰物を作り出さなかったが、日本人は何千億も貢、この文鮮明を韓国の一大財閥にしてしまいました。この金欲しさにアメリカの高官も会いに来り、ソ連のゴルバチョフも文鮮明を招待しています。いまだにこの邪教が日本からなくならないのは、この資金が日本の政治家にも流れているからです。反共というスローガンをかかげて、単なるハレム・助平集団から延命を図っているのです。政治家もこのように日本人を愚弄する集団のカネと選挙応援を頼っていいものかよく考えるべきです。
閔王妃が日本の浪人たちによって殺された19世紀終わりころのロシア人による朝鮮旅行記です。軍関係者が多いので、朝鮮の道、地形、牛や小禽類の数を細かく記録しています。日本との戦争に備えて食料の補給を考えてのことでしょう。これら旅行記には当時からいかに日本人が朝鮮人に嫌われているかが書かれています。ここ東洋の端でもヨーロッパの政局が波打っていて、イギリスがロシアの朝鮮進出に軍艦を持ち出して歯止めをかけています。朝鮮王朝も清やロシアになびいて、日本からの締め付けから逃れようとし、その先鋒である王妃閔氏が宮中で日本人によって切り殺されたのです。これで決定的に朝鮮人の日本嫌いが確定しました。21世紀になっても両国の関係は悪いままです。我々の短慮さを大いに反省しないといけないでしょう。
明治時代にも西洋人が日本での旅行記を書いていますが、朝鮮との違いは、日本人は決して盗まないということです。反対に朝鮮人は平気で盗むそうです。宿に主人が真夜中ロシア人のパンを食べたり、服のボタンをちぎったりしています。大体この国は貴族の両班からして、労働を忌避し、他人から盗むのは当たり前だという習慣があるらしいのです。だから下々のものもカネを儲けても取られるだけですから、あまり働きません。その分盗みが横行するのでしょう。
著者も言っている通り、ユーラシア大陸の果ての孤島に住んでいる日本民族は、ユーラシア大陸での民族の興亡が続いていた海千山千の連中とはずる賢さが足らず、この第二次世界大戦で大負けを食らったということです。日本人は井戸の中の蛙で世界を知ることがなかったということです。最終的に軍に政治を任したことによって破局的になりました。いくら軍人が優秀で各国に留学して学んできたとしても、タレーランやチャーチルやルーズベルトやヒットラーやムッソリーニやスターリンのように平気でうそをつけて、恥じることのない技能はないのです。中國の兵法でも言っています。軍事に頼るのは最低だと。外交こそ、言い含めることこそ最高の方法であると。ところが5.15テロ事件から軍部が政治を掌握し、中国に対して鉄拳制裁がますます横行し、それがアメリカやイギリスまで行って反対に原爆を落とされたことになりました。
「軍は・・・国家当事者の意思に無条件で服従すべく定められており、いささかも軍事自らの政治的意思をもつことを許されない。もし軍が独自の意思をもてばすべての政治的安定は失われるだろう」(トライチュケ)
小山薫堂は映画「おくりびと」を脚本したことで有名になった人です。これと言った定職はなく、才能あふれるままにその都度仕事をしているという、今はやりのノマドワーカーの一人かもしれません。毎月定期的に収入が入らないフリーランスの仕事は肝の細い人には無理でしょう。妻子を抱えるとなると必然的に正社員を目指します。そうかといって、今からの社会は毎日会社に行けば給料がもらえると言った時代ではなくなるようです。成果と収入が一致するような厳しい社会になるようです。誰もがある面フリーランスのような自覚を持たないといけないのでしょう。でなければ低所得の仕事に甘んじるしかありません。小山薫堂の仕事の仕方も、人と会ってアイディアを喚起することにあるようです。時代の流れを知るには人と会うしかないのです。アテネの街をぶらついて若者と議論していたソクラテスこそ最初のノマドワーカーだったでしょう。