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数字と色が結びつく共感覚の人がいます。シュペングラーもその一人かもしれません。シュペングラーは色だけではなく、音楽、建築、文学、哲学、美術など多義にわたっています。
人間に生老病死があるように、文明にも誕生、子供、青年、壮年、老年、死をこの5000年間の歴史で繰り返しています。西洋文明も、コロンブスの航海術により、星辰を観測し、世界に羽ばたくことができました。西洋文明の世界制覇の始まりです。18世紀にはほぼ科学技術の完成をみて、19世紀20世紀はそれらを洗練していく過程であると言っています。21世紀にはやがて勢いが止まり、「西洋の没落」が始まるのでしょう。これがおおまかなシュペングラーの考え方です。
ギリシャ・ローマのアポロン像やミロのビーナスの像は昼間に燦然と立像しています。これを言い換えるとピタゴラスの数学の世界です。では闇から浮かび上がるレンブラントの肖像画はどのような数学なのでしょうか。それはニュートンやライプニッツの微分積分の数学です。ユークリッドの幾何学はアクロポリスに建つパテノンの平坦な屋根を髣髴させ、非ユークリッド幾何学ではピカソのような歪んだ三角形になります。無限大に達する級数は一体なにになるのでしょうか?ドーム、丸天井につながります。
「17世紀(ガリレオ、ニュートン、ライプニッツ)においては、1680年頃消滅知った大きな油絵と相ならんで、絵画的特徴を持って現れた。古典力学(ラプラス、ラグランジュ)の世紀である18世紀には、バッハの音楽と手を携えてフーガ洋式である抽象的性質を得た。芸術が終わりを告げ、そうして文明化した知性が魂を蹂躙している19世紀においては、それは純粋な解析、そのうえ特に多元的複素可変数の関数という理論の領域に現れている」
現在日本人がアメリカの大学に余り留学しないのは、もはやそれほど魅力ある研究をしていないのかもしれません。日本の大学は明治時代から「翻訳大学」ですから、翻訳すべきものがないなら、行ってもムダです。西欧・アメリカ文明の次に来るものは誰なのでしょうか?今のところ中国やインドだと思われています。日本の学生も今からは中国の北京大学や精華大学、シンガポールの大学、インドの工科大学に留学しないといけないようになるかもしれません。
トランプ支持者がホワイトハウスに侵入し、4人が撃ち殺されていました。過激な白人至上主義者の人々でしょう。プアーで恵まれない白人層はトランプだけが再び白人支配のアメリカを作ってくれると思っているのでしょう。しかし白人とカラーの人口比をみても、徐々に拮抗しつつあり、やがてカラーのほうが多くなる勢いです。散々今まで白人層はカラーをいじめ抜きましたが、これから先復讐されるのではないかと思い、銃を買い、白人専用の町を作って引きこもりを図っているようです。
このコロナは後々世界史に記載されることになるのでしょうか?現時点での死者数は189万人。元から明に移行するときの中国人の人口は1億2千300万人から6千500万人に減ったそうで、これはペストによるものだとマクニールは言っています。南北アメリカには1億人以上のインディオが住んでいましたが、病原菌まみれのヨーロッパ人が入ってきて、抵抗力の無いインディオはほとんど死に絶えました。北アメリカでは1763年ジェフリー・アマースト卿がインディオの疫病に対する免疫性がないことを知って、「天然痘の病毒をしみ込ませた毛布を敵のインディアン部族」にばら撒いたそうです。細菌戦も最初に考え出したのはヨーロッパ人です。欲望を満たすためだったら何でもやる人々だとわかります。
「辺境に位置する白人の入植地は、インディアン住民が様々な感染症、特にその中でも恐ろしい天然痘によって壊滅的な打撃を受け続けていたことで、随分助かったのも事実である」
マクニールもヨーロッパから渡ってきた先祖の子孫ですから、積極的にインディアンを虐殺したとはあまり言いたくないのでしょう。インディアンが勝手に死んでくれて、白人に空き地を残してくれたと言いたがっているようです。
いずれにしてもペスト天然痘コレラなどで過去何百万人か何千万人か死んだ歴史があるのです。コロナウィルスは中国の細菌兵器だと言う人もいます。現在世界人口は80億人。1900年には16億5千6百万人しかいなかったのが、この上がりようだ。この問題を何とか解決しようとどこかの機関がコロナウィルスを作り出したものかもしれないし、単に増えすぎたものを調整する自然の摂理かもしれません。
アメリカのホテルのプールで山下邦康がパンツをはいて入っていくと、そこのいた白人のおばちゃんたち3人はすぐ出て行ったそうです。カラーの人種と一緒に水に浸かるのは嫌なのでしょう。汚いものがくっ付くとでも思っているのでしょうか?ホテルの小火騒ぎにしても、白人のボーイからエレベーターの乗らず、歩いて階段を下りろと命令されています。エレベーターには白人の荷物が積まれていたそうです。同じ客でありながら、荷物以下の扱いを受けているのです。空港の窓口では、彼の番の前で、もう休み時間だといわれ事務手続きがストップしてしまいました。アメリカに行くとこのように白人から数々の差別を受けます。このようなことをするのは、プアーで、教養もない、どうしようもない白人だけだとはいかないのです。知的で大学教授をしているような白人のなかにも言葉には出さないが、行動で差別がしっかりとみえてくるのです。例として白人の医者選びはやはり白人でなければなりません。カラーの医者は嫌がるのです。街中も同じような症状が出ています。昔賑やかだった市の中心部は黒人の浮浪者に占拠され、白人は街から出て郊外に移り住み、その近くに自分たちの職場のビル群を作っています。決してカラーを入れない街づくりをしているのです。やがてこの国では、カラー戦争が起こるでしょう。
アメリカに留学するのだったらまともな大学に留学するぐらいでないといけません。単なる語学留学では、女では売春婦並み程度、男では渋谷などでたむろするあんちゃん程度ぐらいの会話しかマスターできません。アメリカに語学留学している彼、彼女らはアルバイトで皿洗いなどしているのですから、会話力もその程度にしかならないのです。それにしても明治時代、アメリカの奴隷にもなった高橋是清は何と素晴らしい人間であったことか。やはり国を思う、壮大な気があったから、ユダヤ資本からの融資を取り決め、日露戦争で勝ちをもたらしたのです。あんちゃん風英語会話力ではまともな銀行はとりあってはくれません。
清少納言は初詣の時、農民と出会って、このように書いています。
「蓑虫のようなるものの、あやしき衣着たるが、いとにくき、たちゐ、額づきたるは、おしたおしつべき心地こそすれ」
この小生意気な女官は下々に対する同情心がないのでしょう。いくら本邦初の女性随筆家であっても、意地の悪さ、狭量な考えしかないことがわかります。平安時代仏教も深く浸透していたにもかかわらず、たかが漢籍が読めるくらいで、思いあがって、人々をあげつらうのは品がないというほかありません。現在ではさしずめ炎上し、泣いて詫びを入れる口の出すぎたタレントのようになるでしょう。そうはいっても今から1000年以上も前の話。古代ローマ帝国のようにローマの人口の半分が奴隷であったほどではないにしても、日本の古代にも天皇家、豪族、寺院などに奴隷がいました。奴(やつこ)とよばれるものです。語源はいろいろ説がありますが、瀧川は「家の子」ではないかといっています。家長の権力に服する使用人ということらしい。戦争捕虜、犯罪者、債務者、中国・朝鮮から来た渡来人などが奴隷になっています。24歳の男の奴隷の値段は稲900束、19歳の女は稲1000束という書付が残っています。普通は男の奴隷が高いのですが、この19歳の女は美形であったということらしく値段が高くなっています。稲900束の値段ですが、これは「駿河の中馬二匹」に相当する値段だそうで、今の軽自動車くらいとすると、300万円から400万円くらいかもしれません。男の奴隷で最も高かったのは、今も昔も変わらずハイテクな技術をもつ人です。車輪を作る職人でありました。