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「いじわるな遺伝子」で美男美女はシンメトリーの高い人で、シンメトリーが高いということは健康的でもあると解説していました。歪んだ顔や不揃いな手足はもともと遺伝子が悪いのか、環境が悪かったのでそうなったかもしれない。男も女も美男美女に向かうということは、健康的な子孫が残せるだからということです。しかし日本の歴史を見ると、奈良時代や平安時代の下膨れの女官たちの顔は今ではそんなに美人だとは思われません。お多福のようであり、古代はこれが美人だったのでしょう。それなりにシンメトリーもとれているのでしょう。江戸の浮世絵になると長い細い顔になります。これくらいになると今の感覚からでも美人だといえます。ただし目が細いので現代的な美人とは言えません。最近になってえらく目がぱちくりした女性がテレビによくでてきますが、これは日本人の体質が変わったのでしょうか?それとも化粧法なのでしょうか?日本の少女漫画などでは目がありえないほど大きく画かれていますが、これは幼稚化をあらわすようです。アメリカの人形と日本の人形を比較すると、明らかに日本の人形の方が幼女ポイ形をしています。村澤博人によりますと、これは、アメリカ人は子供にはやく「一人前に」「成熟した」人間になれと教育しているのであって、反対に日本では特に女性に対して「可愛いままで」あってほしいというあらわれなのでしょう。
三国時代の魏の曹操は女性の眉を一本に繋げたお触れを出したということで、当時の女性は眉と眉の間を墨でも塗っていたのでしょう。現代でもウィグル族や西トルキスタンの女性は眉が一本線になっています。
お金がたまらないのも、ぶくぶく太るのも、過去人類が長く飢餓の状態にあったので、飢餓遺伝子なるものができていて、ときたまキリンなどの大型動物を狩猟すると、冷蔵庫などないので腐るから、その日のうちに腹いっぱい食べこんで、後の飢餓状態をやりすごすような生活をしていました。現在になり、飢餓状態がなくなっても、飢餓遺伝子に支配された人間は周りに食物があれば食わないとすまないような気分にされているのです。お金も貯まらないのも、冷蔵庫があればそこの保存し、後でちびちび食べればいいものを、長らく一挙に食べるという習慣から、お金も、宵越しの金はもたねーという気持ちになっており、入ってきたお金もパッパと使ってしまうのです。アメリカ人の貯金の無さと肥満の多さ、日本人の貯蓄傾向とそれほどでもない肥満を考えてみると、進化論的に日本人の方が進んでいると思わざるを得ません。しかしながら日本の金持のけちぶりは経済をも歪まして、デフレの状態を長く続けさしています。江戸っ子のような阿呆がいないと経済も回っていかないようです。
これには関係なく、正月川柳。
「餅食うも 挑むがごとく ご老体」
(食いたくもあり、死にたくもなし)
今までの悪行がたたって、パラノイア的見方(偏執的な考え方)、やられる前にやってやろうとする銃による大量殺人、アメリカの白人層にこうなる人が多い。悪行とは、インディアンの殲滅、黒人奴隷の導入、フィリッピンでの虐殺(だから現大統領ドゥテルテは白人の馬鹿たれどもと発言している)、メキシコからの領土の略奪、近隣諸国への謀略・要人暗殺、日本への原爆投下、ベトナム戦争等々。普通だったら良心の呵責から反省するのが当たり前のはずですが、アメリカの白人層は今まで皆殺しにしてきた者たちがヴァンパイやーのごとく甦ってきて、精神を苦しめるので、それらが自分たちの犠牲者だったとは考えなく、反対に自分たちを攻撃する悪魔として取り扱い、映画ランボウのような英雄を作り出し、もはや亡霊に過ぎないものを再び殺しまくっているということになります。単にそれが精神的な内に留まっているなら問題ないのですが、被害妄想で切れた白人の若者が銃をぶっ放して多数を殺したり、黒人の反逆を恐れて、死に至らしめるほどの暴力を振るう警官などが出てくることが問題なのです。
最後にジェーシー・ウォーカーはこう締めくっています。
「物語を紡ぐときに罠に嵌ることがある。確証バイアスとセレンディピティが組み合わさって、自分が作り上げているストーリーがかならずしもこの世界を映してはいないということに気づかないかもしれないのだ。陰謀論がとくに魅力的に映るのは、私たちがパターンの裏に知性を見るからである。・・・それでもパラノイアの害悪を抑えることができる。自分たちと異なる人々に対して共感をもつよう心がけることができる。・・・恐怖心に満ち、とかく誤りを犯しがちな自分自身にも懐疑的---深く深く懐疑的であらねばならぬ」
日露戦争ころまでは、維新ころ実際に刀で渡り合って、肝の据わった軍人が多くいたとおもわれるが、明治の終わりから大正、昭和のはじめにかけての受験エリートの軍大学出身者には口先ばかりで、謙虚さが無く、何かといえば統帥権を持ち出し、人に意見を言わせないようにし、そのくせ同じ軍人仲間の海軍と陸軍は非常に仲が悪かったということです。これでは戦争に負けるのは当たり前です。特に関東軍は国の方針をないがしろにし、勝手な行動をとり、張作霖を爆死させています。中国との戦争をもくろくために、見え透いた小細工の陰謀をたびたび起こします。おまけに日本のあぶれ者、犯罪者、ヤクザの様なものが朝鮮や中国に渡り、好き勝手なことをしています。これでは欧米の植民地主義者以上に嫌われるでしょう。森嶋守人は東大を出て外交官になった文人の人ですが、中国との折衝で、たびたび日本将校たちの邪魔を受け、太平洋戦争勃発時にはポルトガル公使になったということですから、軍事政権から左遷されたのでしょう。チャーチルが言うように歴史はほんの小さなことからも流れが変わることもあるが、かといって大きなうねりとなると、個人の力では留めようがなくなるということはこの本を読むとよくわかります。口先ばかりで肝の据わっていない人間が政治をすると、行き着くところは破滅だということです。
2001年に出版されているのでもう20年にもなるのだ。なかには亡くなった人もいる。野坂昭如、この本の企画でバイアグラを飲み、中島らもとちんちんのたち具合を検証している。もはや天国ではちんちんなど必要ないであろう。団鬼六、離婚して新しい妻と結婚したが、同時に彼の長男も結婚し、また同時に子供が生まれた。団鬼六は一度に子と孫を得た記録を残した。他人事ながら相続はうまくいったのであろうか?淡谷のり子は妹に介護されてなくなった。老々介護で妹は大変だったろう。妹はピアノ教師で一生独身だったそうです。
森永卓郎が、20年前、50歳であった我々団塊世代700万人の動向をアンケート調査している。といっても上場企業の団塊世代の社員だけですが、考えが甘いといわれています。年金だけで何とか暮らせるだろうというのが甘いということです。我々団塊世代は「親をみとり、子には捨てられる最初の世代」だそうで、十分貯蓄をしておかないと年金だけではまともな生活はできないであろうということです。大企業の社員すらそうなのですから、自営業に至っては悲惨というほかないでしょう。このコロナ禍、我々団塊世代は家に閉じこもり、決して死のうなどとは思っていないようですが、この本の中である医者が言っているように、70歳過ぎたらもう医者の手を煩わすようなことをしないで、コロナにかかったら、自宅で養生し、死んだは死んだでよしとし、医療崩壊させないことが肝心です。まかり間違っても救急車を呼ばないことです。とは言いつつも、いざ自分がそうなったら、そのような悟ったことができるかということです。はなはだ心もとない状況です。