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絵葉書に載った各地の遊郭の建物やそこで働く女性の姿を見て悲しく思えました。ほんのちょっと前、自分の妹や弟を背中にしょってあやしていた女の人が、着なれない着物をだらしなく着飾っている写真も載っています。遊女特有の着方かもしれませんが、しどけないというよりか、崩れているという感じの着方です。親のために50円かそこらで売られてきたのでしょう。浮世絵のような美人は少なく、大概は猫背気味で、背も高くないのに大顔と言った典型的な昔顔です。どのような時代でも貧乏人が多く、男も女も何とか耐え忍んで現在まで来ているのですが、我々の先人たちの忍耐強さは、驚きとともに、涙も誘います。現在では遊郭という形はなくなりましたが、相変わらず収入の低い女性は、この方面の仕事がセーフネットになっています。まだまだ社会の改善の余地はあるようです。
銀座高級クラブの内輪話かと思いましたが、小説でした。フィクションと言っても飲み屋の話なのですから似たようなことはあったのでしょう。女性でも経済力をつけると、男に気兼ねして生きているような専業主婦と違った生き方になります。ここのママも若いサラリーマンの肉体によって癒されましたが、いざ男が女房と別れてママと一緒になりたいと言い出すと、ぴしゃりと拒絶します。
「もう幕が下りたのよ。今別の男からの電話をまっているの」
ゼニを稼ぐ能力を身に着けた女性は、安易な結婚などしないのです。男でも女でも本当は自由に暮らしたいのです。肉体の渇きはゼニによってどうにかなるのです。まるで男そっくりです。妾を養うのは男の甲斐性と言われましたが、女性の場合はそのような無駄遣いもしません。ゼニを使うのは変わりばんこにホテル代を払うだけです。飽きたら別の男に粉をつけるだけです。
佐藤紅緑の長男、異母姉妹には佐藤愛子がいます。晩年テレビで見たサトウ・ハチローは無精髭をはやした爺さんでしたが、これが童謡を書く詩人だとは思われませんでした。ましてや青少年時代、浅草でカツアゲなどして再々警察に捕まっていた不良少年だとは想像つきません。父親は有名な小説家でしたから大目に見られたのでしょう。立教中学では野球部でキャッチャーをしていましたが,放校され、八つほどの中学校に入ったり、放校されたりして、結局どこの中学校も卒業していないのでしょう。戦後天皇陛下と歓談して、中学校野球大会で毎年違った中学校のユニホームを着ているので、審判からどこかに決めろと言われたという話をしたら、天皇陛下は大いに笑ったということです。恩賜のたばこをもらって、それを療養中の佐藤紅緑に渡したら感涙にむせんだと書かれています。数日後安らかになくなっています。サトウ・ハチローの唯一の親孝行だったかもしれません。
銀座クラブのママの生涯物語です。かよわい女性もいざとなったら何でもできるということがわかります。相手の男の実家で結婚を反対され、結婚できず、その男の子供を抱え、酒場勤め、子供を養家に預け上海まで出稼ぎに行っています。なかなかの美人なので、別の恋人もでき、この恋人は徴兵逃れのために、上海の会社に転勤します。上海で二人楽しい生活をおくりますが、終戦になると別れ別れになります。この敗戦で彼女の肝は据わったのでしょう。戦後彼女は小さな店から、徐々に大きくなって3軒ほどの店を作っています。店には大会社の社長、政治家、文人、漫画家、俳優など有名人が来ます。クラブに来るような男は自分の地位のバラメーターを計りに来るということがわかります。ママや美人のホステス達に「よいしょ」されて、何とか自分で居場所を納得したいのでしょう。はっきり言えば児戯のようなものです。でありますから、これら社会の成功者たちは、クラブの中で甘えたり、怒ったり、普段しないようなバカなことを言ったり、したりします。それでもママやホステスさんが大目にみてくれるから、安心して地をさらけ出すことができたりするのです。それがストレス解消になるようです。このようなことを家庭や会社で行ったら、則適格を疑われるでしょう。
プレシャーを強く受けている社会の成功者は、何もかも肯定してくれる母親のようなママのもとが唯一安心できる場所だということです。
1878年パリ万博で通史としてパリに来ていた林忠正はその後画商となり、浮世絵を輸入し、浮世絵を解説したフランス語の本も出し、フランスのジャポニスムに貢献した人です。この本の中で、浮世絵の世界では師匠と弟子が来て、お互い協力して作品を作っていたということを書いているのでしょう。これに触発されて、ゴッホはアルルに芸術家の村を作ろうと思い、同士を集めたのですが、でも集まったのはゴーギャン一人です。東洋の集団主義と西洋の個人主義の違いです。ゴーギャンとの共同生活も壊れ、その後ゴッホの精神そのものも壊れていきます。浮世絵の世界では師匠の作風は弟子に引き継がれます。弟子の中で師匠に最も近いものが次世代のこの派のリーダーになります。マンネリになりますが心地よい安定が続きます。天皇制もかように長らく続いたのも、変化を好まない日本人の性格を表しているのかもしれません。しかしながら変化を好まないと言っても、外圧により変化せざるを得なくなる時があります。成功したのが明治維新で、大失敗が太平洋戦争です。いづれにしても自ら変わろうとはしたくない国民です。他国がインフレを抑えるために金利を上げていますが、唯一日本だけは変化なしの低金利です。やがて世界の圧力がかかってきた時、今回は吉と出るか凶と出るか、だれも予想がつかないでしょう。