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この本の出版が2008年、まだこの頃は中国を笑っていることができていました。でも2023年になると、何もかも圧倒されているような感じがします。北京大学や精華大学も世界ランキングでは東京大学をはるかに超え、米英国に迫る勢いです。宇宙船も作り、月への移住も中国人が一番目になるのではないかと思われます。物まね製品と揶揄されてきたものも今では電気自動車は世界の先端を走っています。今回WBCで日本が優勝しましたが、三年後、中国が世界の覇者になるかもしれません。なにしろ人口が14億、日本の一億より優秀な人材が14倍もゴロゴロいるということで、とりわけとびぬけた人を選んでチームを編成すれば、アメリカのプロ集団もかなわなくなるでしょう。かつて産業界で行われてことが、スポーツ界でも起こるでしょう。日本の名のあるコーチ陣を高い給料で招き、野球のノウハウを学び、いったん学んだら、お払い箱にして、自分たちで工夫してやっていく、こういうことが繰り返させるのです。やがて中国のダーク(大谷)も出現するでしょう。
本の表紙を見て、西欧の中世から近代にかけてのいかさま師列伝かと思いましたが、推理小説でした。小説は読まないようにしていますが、借りたからには読まないわけにはいきません。推理小説ですから、現実的にありえないようなことがあります。「小説よりは奇なり」という言葉がありますが、70前後の御婆さんが30歳前の元気はつらつの女の首を絞めて殺そうなど、まともなら考えられないことです。
最近マイクロソフトが、こちらが指示すれば、小説文など勝手に作り出してくれるソフトを開発しているようです。もうすでにこのソフトを使った小説もアマゾンで発売しています。もはや小説家は原稿用紙に一字一字書く必要がなく、コンピューターにこの場面は推理小説風に書くようにと指示するとそれなりに文章を書いてくれます。作家に最も必要なのはアイディアだけで、そのアイディアをいかにうまく組み合わせるかが、その作家の才能になるという時代に入りました。新聞記事などパソコンが書いているようです。誰誰さんが自動車事故で死んだという簡単な事件はパソコン記者で十分です。スポーツ記事もしかり。そのうちテレビでもロボットがニュースを読み上げることになるでしょう。AIが発達してなくなる職業が多くあり、唯一介護だけが人間の手が必要かもしれません。
私が子供時分でも、犬付きの家系とか狐付きの家系などと言っていました。気が変になった人がいる家族をそのように言っていたのです。拝み屋さんが来て、何やら唱えると、気のふれた人が犬の真似をしたり狐の真似をしたりして、拝み屋さんがエイッと気合をかけると、患者は途端に静かになり、犬やキツネが去ったということで、治療の完成です。人間の精神と体は不思議なものです。拝み屋さんがそのようなパフォーマンスをしなくても治る人は治るし治らない人は治らない。いまだに新興宗教では拝み屋さんみたいな人がいるようですが、精神の病気は最新の医学をもってしても治癒が難しそうです。現在は平安時代ではないのですから、誰かの祟りで病気になったといことは、表面上は通用しないでしょう。肉体の病気は細菌とかウィルスが原因であるということはわかっていますから、その原因を除去すれば治るのですが、精神の病気は脳の中である物質が少なくなっているかと過剰になっているとか、いろいろ説明されますが、まだはっきりとわかっていません。そこに「祟り」が入ってきてもおかしくないのです。フロイトのエヴィデンス不用の学説もそれなりに理屈が通るような気もします。科学や医学が精密化したのはごく最近のことです。それまではシャーマニズムが続いていたのですから、自分が具合が悪くなったのは誰かのせいだと考えるのが当たり前です。人間の精神の深い所では、このような回路がしっかりと組み込まれているのでしょう。人間の脳が増えたのは、お付き合いのためだという説もあります。人間関係が最も頭を悩まさることだということです。
パッと思い浮かぶのは紅茶と揚げたフィッシュと揚げたポテトチップスくらいしかない。アジア人から見ると欧米人はみな肉食らいだから、欧米人同士の差異は感じないが、欧米人から見てもイギリス人は牛肉食らいであるそうです。それもローストビーフ。教会に行っていた頃、朝オーブンにいろいろな野菜と牛肉の塊を入れ、教会の儀式が終わって家に帰るとローストビーフが出来上がっていて、その家の主人が厳かにナイフで切り分け家族ともども食べるというのが昔のスタイルでした。いまや教会に行くことも少なくなり、昼食が昔では一番の食事の量だったのですが、今は簡便にすましています。でもこの肉食も19世紀後半になってようやく普及したもので、それまでは貧乏人は堅いパンにバターやベーコンがつけばいい方で、大方は野菜くずのスープにつけて食べていたものです。だからイギリスでは階級差が激しく、同じ民族でありながら貴族と庶民の体格差が歴然とあり、ボーア戦争のおり、イギリスの貧民層は兵として役に立たなかったということです。
「縦」と「横」という二つの漢字で都市論を展開しています。縦とは建前、横とは本音、縦とはしゃちこばったもの、官庁、会社、仕事、昼間、働く、メイン道路、横とは、横になる、横着、休む、酔っぱらう、夜、横丁、この二つが微妙に折り重なってこそ都市が有意義に機能するのだと言っています。でも最近都市計画のなかで横丁なるものが淘汰され、自動車が通れるような広い道を作り、ごちゃごちゃとした、消防車も入れないような路地はほとんどなくなっています。広島でも段原はきれいに整地され、ビルやマンションが立ち並んでしまいました。以前は狭い道で、骨董屋など怪しげな店が多くあったのですが、いまや黴菌もすめないようなきれいなスーパーやコンビニやチェーン店の飲食店などが立ち並んでいます。とてもじゃないが横になって寝転がることはできないような空間になっています。カネがないとうかうかと歩けない街になってしまいました。建前ばかりがのさばって本音が言えない状況になっているようです。コンプライアンスなどといって、一見恰好いいことを言っているようですが、中身もない、あまり考えてもいない、見栄張り社会の到来です。その点昭和の高度成長時代では、法令遵守はあったものの、金儲けがまず第一番で、自分たちの欲望を満足させることに一生懸命だったのです。この単純さが懐かしい。理屈なしに日々の暮らしが豊かになることで、皆が頑張っていたのです。一時はアメリカを追い越すほどまで行ってしまいました。もう二度とこのような時代は来ないでしょう。日本も老いたのです。