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毛利元就の三本の矢は孫やひ孫の時代になると、利害や対立ができてうまくいかなくなります。戦国時代の元就の家訓は家の存続には有効であったが、孫の輝元が、豊臣から徳川に政権が移行するとき、その処置の仕方を誤ったため、天下を取った徳川から厳封されます。輝元は元就と腹違いの母とに生まれた息子元清の子秀元を養子に撮りますが、後年自分の息子秀就を後継ぎにさせたいために両者の確執が始まります。秀就は呑み助で昼間は酔っぱらって寝ていたそうです。たびたび輝元は諫言しています。秀元は藩の財政の立て直しを任されていました。最終的には慰留する形にはなっていますが、実際は罷免されます。毛利家は秀就の所業を隠しおおせて、何とか取り潰しにならなくて、明治維新までもったということです。
私が中学生のころ、同級生に小早川とか宍戸とか吉川とか名前の同級生がいました。毛利家重鎮の子孫でしょう。小早川君は殿様顔で、逆三角形のあごのとんがった形をしていました。先祖代々から柔らかいものを食べ、我々食いじの張った頑強なあごと違って、華奢なあごでした。宍戸さんはポチャとした女の子で、御姫さんと言ってもいいでしょう。吉川君はもう顔も忘れました。
我々が中学校高校生頃習った世界史は、ユーロッパ主導の世界史でした。ヨーロッパの台頭は大航海時代以降であって、それまでの中心はヨーロッパから見ると東の国々、ペルシャなどのアラビア諸国が世界の中心です。古代ギリシャ、古代ローマから見ても、今のフランスやドイツやイギリスに住んだ人々は野蛮人だと言われ、戦争では勇敢であるので、傭兵として雇われた人々です。古代ギリシャ、古代ローマの知恵はペルシャなどの東方の国々に保存され、図書館にしまわれていました。それが大航海時代から、自分の出自に箔をつけるためルネッサンス運動が始まります。急に世界の覇権者になったので、自宅に百科事典でも置こうという気になったのです。十字軍でもそうですが、表向きキリスト教徒のエルサレムの自由な参拝のためと言いながら、本当は食い詰めた人々が強奪のために参加したのです。植民地政策も欲深い強盗のようなものです。余裕ができてきて野蛮人丸出しでは都合が悪いということで、やおら古代ギリシャ、古代ローマが彼らの魂の故郷と言い始めたのです。世界史のこのような背景を清水義範は諧謔を込めて説明しています。
日本で学歴のないものは、特技を身につけることが肝心だと言っています。大企業や公務員になれない人は小さい時からぼんやりと過ごしてきたのでしょう。私もそうですが、何者かになろうという明確なビジョンなど持ち合わせがなく、なんとなく毎日テレビを見て、へらへらと笑っていました。この付けが大人になって泣きになります。青木の場合漫画が売れて、大金持ちになりました。スポーツでも何でもいいから人が持ってないものを作り出さないとこの世で稼ぐことはできないと強調しています。しかし現在では子供の時代からスポーツでも音楽でも趣味の囲碁将棋でも先生について習う人でないと成功しないようになっています。だから貧乏人は先生に払う金がないものだから、子供は公園で遊ぶか、私のようにテレビを何時間も見るような生活しかできないのです。これでは羽生結弦のようなフィギアスケートの選手にはなることはできません。現在若者たちが裏サイトで強盗に仕事を請け負っていますが、これも悲しいかな、世代の貧困さで満足に教育が受けられなかった口だと思われます。
モーパッサンは結婚しない理由をこう答えたそうです。
「ある有名な男が言ったことだが、結婚とは昼間は悪感情の交換、夜は悪臭の交換以外のなにものでもないからな」
この悪臭もナポレオンにとっては芳香と言えるもので、眠っているとき鼻先にチーズを出されたとき、ジョセフィーヌと叫んだといわれています。日本人には悪臭だと思われますが、西欧人にとっては臭ければ臭いほど高級なチーズだと思っているのでしょう。総じて西欧人の体臭はきつく、田崎潤の自伝でも、浅草の劇場の舞台の下にいると、ロシアのダンサーのあそこの匂いが漂ってきたと書いています。ルイ14世などは風呂に入ると病気になると言っていたくらいですから、体を洗うということもあまりなかったのでしょう。毛沢東も口か体が臭かったと言われています。自分の匂いは自分ではわからないものです。私も爺臭いにおいを発散しているのでしょう。