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虹口と書いて「ホンキュウ」多くの長崎人が渡っています。手紙にも長崎県上海と書いて配達されたそうで、当時の日本人の思い上がりがわかろうというものです。カラユキさんも大陸に渡っています。日清日露の戦勝で、中国人の客は「チャンコロ」といってとらなくなりました。日本で食い詰めたものが上海に流れ着いてくるのですから、当然風紀も悪くなります。詩人の金子も夫婦で上海に行っています。無頼な生活をしていたのではないでしょうか。博徒の青木権次郎も娼婦を数十人を抱え荒稼ぎしていましたが、質の悪さで上海から追放されています。最終的に終戦になると日本人すべて追放されるのですが、蒋介石の「以徳報怨」の考えで何ら懲罰なく日本に帰ることができました。それに対してロシアでの日本の捕虜はひどい目にあいました。いまだに腹の立つことです。
日中戦争中日本の文学者が雑誌社の要請から記者として上海に行っています。上海での動乱と、日本に帰れば、平和そのもの、この対比で日中戦争はよそ事であり、ある一部のものしか関心がなかったのではないかと思われます。このような無関心が中国での日本の軍隊の独自専攻を許したのでしょう。軍隊もそうですが、パスポートなしで上海に渡ることができた日本の民間人も、はっきり言えば日本で食い詰めたもの、日本にいられなくなったもの、つまり遊民、堕落者、犯罪者など手に余る者たちで、それらは中国人にとっても面倒で唾棄すべき人間だと思われています。反日中国映画では日本人のパターンは決まっています。馬鹿もんと言って、すぐびんたを張ることです。集団では凶暴になる日本人には困ったものです。個々ではおとなしい人間ですが集団になるとどうしてこうも性格が変わるのでしょうか?またこの本にも出ていますが、日本の将校が上海で妾を作っていることです。軍の物資を特権的に利用できる将校がそれを餌に女を釣っているのです。このような性的なルーズさが世界のフェミニストたちに非難をかっているのです。
何といっても3億円事件。松本清張は複数犯人説、刑事の平塚八兵衛は単独犯説。結局わからずじまいで、多分その当時は二十歳か30歳前ごろにしても、いまでは80前後になっているはずである。もう死んでいるかもしれない。強奪されたジュラルミンケースにはコインなどの少額の貨幣まで入っていたそうですが、すべて使い切ったのであろうか?今日の金銭感覚で言えば優に20億円になるそうです。この3億円の犯人だけは、しゃれた犯行の手口で皆を愉快にさせたので、許してもいいような気持ちになります。誰も傷つけたことはなく、海外の損保団が損失したというだけで、損保費用も1万円ちょっとしかかかっていません。これとは反対に別府3億円保険金殺人は許しがたいものがあります。荒木虎美は生活困窮者の女性を選び結婚し一か月後に保険をかけてその女性と子供の二人を車に乗せ海にダイブして自分だけ助かっています。よくテレビに出ていて、見え透いた言い訳をし、この男だけはどうしようもない奴だなと思っていました。死刑になる前に刑務所で病気になって死んでしまいました。
この随筆集を読んでいてしきりに環境か素質かを考えさせられた。川口松太郎は養子で、母親の名前はわかっているのだが、父は杳としてわからない。赤ん坊の時に養育費としてカネを包んでいた奉書があって、そこには徳川の家紋が入っていたと記憶しています。島岡よねという女性が徳川家達の家の女中として働いていて、御手付きとなって落胤を産んだというという噂です。養父の川口竹次郎は左官屋で、貧乏暮らし、養母は菜食主義で、亭主が肉や魚を食わせろというと指で円を作ってもっと金を儲けろやという下げマンの女です。養父は49歳で亡くなっています。松太郎は小学校を出ると質屋に丁稚として雇われます。長く続かなく、古雑誌の露天商になります。親切な警察官によって警察署に雇員として働き出します。そこで電信を習い、学校に行き正式の通信使になります。通信使をやめると雑誌の記者となり、やがて戯曲が賞を取り作家になっていくのです。小学校出の川口が東大出の菊池寛、芥川龍之介などや慶応の三田閥の作家などと親しく交わります。果たして竹次郎の実子であったら、このような高みまで這い上がるでしょうか?相変わらず親の商売を引き続いて左官屋をやっているでしょう。素質とは自分にふさわしい環境を作るのだとわかります。たとえ不利な環境に置かれていても、才能と根気があれば才能が望む豊かな環境を作り出すことができるのです。環境が豊かであっても才能がなければその環境は宝の持ち腐れということです。
田崎潤、本名は田中実、映画「細雪」を撮ったとき、この小説の作家・谷崎潤一郎から崎と潤をもらって付けたものです。私たちの年代から見ると田崎潤は親父の年代ですからテレビなどで見ると豪快な中年オヤジのようでした。しかし彼が若い頃は美男子系の役者で、ズッズッ弁を話すにしても、チャールストンを踊るモダンな面も見せています。小さい時から何度も生命の危機に襲われ、日中戦争でも馬と一緒に崖から落ちたり、手榴弾や機関銃の破片を体内に食い込ましたりしています。その都度死の淵から生き返っています。生き運が強い人なのでしょう。ドサ周りで戦前台湾から上海まで行っています。上海での黒人ギャング団との活劇、というよりは騙しあいを面白く書いています。英語も中国語もよくわからないのに、酒でも飲むと何か意味が通じるようです。