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トーマス・リプトンの両親はアイルランド人で、ジャガイモ飢饉のときスコットランドに渡りグラスゴーで食料品店を始めます。トーマス・リプトンは十代半ば過ぎアメリカに渡りいろいろなアルバイトしてカネを貯め、グラスゴーに帰ってきて親と同じ食料品店を始めます。勤勉とユーモアある宣伝でイギリス各地に支店を作り、アメリカではハム工場、セイロンでは茶畑を買い、焙煎と販売を手掛け、一代で大財閥になります。晩年老害もあったようですがいまだにリプトン紅茶が残っているのを見ると基盤がしっかりしていたのでしょう。彼の唯一の趣味はヨットであり、アメリカンカップに出場しています。それに豪華なヨットに貴人を招待し、豪華な晩餐などで楽しんでいます。政治的な野心があったわけではなく、ただ王族や有名な人と付き合うのが楽しみだったのでしょう。英国王室からは貴族の称号を受けています。
2021年3月31日にアップしています。異端審問に捕まるのを恐れて日本まで流れ着いたユダヤ人の話しで、これは読んだことがあるなとわかりました。この前イギリスの井戸で子供や大人十数人の遺骸が見つかりました。これは宗教迫害を受けたユダヤ人たちです。ヨーロッパやロシアではたびたびユダヤ人の虐殺が起こっています。国を失った国民は大変な目に合うというのがよくわかります。国があっても「ヒトカドイ」「人さらい」「ヒトアキビト(人商人)」によって売られた日本人も大変な目にあっています。中國、インド、アフリカ、ヨーロッパ、果てはメキシコまで売られて行っています。歳をとって労働力がなくなると奴隷放免をなりますが、要するに野垂れ死になることです。ヒトガドイの話では日本の遊郭のように何年たてば年季明けになり自由になるのだと説明を受けますが、実際は一生涯の奴隷契約になっています。裁判を起こして自由民になった人もいましたが、それは少数で大概は悲惨な奴隷生活を強いられています。奴隷売買を禁じた豊臣秀吉はそれだけでも偉大な英傑です。
井沢実は外交官でスペイン、ポルトガル語を学んでいたのでそちらの方面の国々に赴任していました。これらの国々とは外交面ではほとんど仕事がなく、高い給料をもらって趣味で学んでいた大航海時代の本をそれぞれの国で集めています。日々読書の毎日で学者も恨むような生活です。百閒も書いていますが、明治大正の時代の高級官僚の実態のことで、日々の仕事は半時間や一時間あればすますことができるほどしかなく、ある官僚は本や新聞を読んでいたら、上司が来て言うには、役人というのは仕事がなくてもあるようなふりをすることが必要で本や新聞を読むのはまずいなと言われたということです。井沢実は本国から遠くにいて、それも同僚も二。三人くらいしかいないのですから、おおっぴらに好きなことができたのでしょう。最近のニュースで韓国の労働者が日本の労働者の生産性で追い抜いたと出ていましたが、どうも日本の労働者は夜遅くまで残業をしてまじめに働いているのだと思っていましたが、実際は「ふり」をしていただけだということがさらけ出されたのでしょう。おまけに科学技術の論文数も今年10位圏内から脱落し12位まで下がっています。労働と研究は違うような気がします。研究は井沢実のように食べることに困ることはなく、好きなことができる環境が必要です。少ない予算で早く結果を出せというのは土台無理なことです。
敗戦後GHQはあらゆるものに検閲をかけています。映画ではチャンバラはいけない、とくに忠臣蔵のような復讐談は禁止されています。この戦争で悪いのは日本で、アメリカは日本人の目を覚ましたのだという説をしきりにドラマや論説などで流しています。アメリカを悪く描くことはどのメディアでも禁止されていたのです。例の原爆や都市爆撃も人的資源(アメリカ人も日本人も)最小にするためにあえてやったことだと宣伝していて、私たちも戦後教育でなるほどそうかもしれないと思ったりしていました。ただ悪いのは軍部で。勝ち目のない戦争をあえてやったことに対して、合理的でないと感じ、大和魂で何事もうまくいくことはないのだ、それがわからなかったのかと情けなく思ったものです。アメリカの巧妙な宣伝によって私たち戦後っ子は自虐史観を植え付けられたということです。このような検閲に対してそれを打ち負かした人がいます。将棋の升田幸三です。将棋もGHQによるとチェスと違って取った駒を使うことができます。これをGHQは捕虜虐待として将棋ゲームを禁止しようとしました。これに対して升田幸三はマッカーサーに会い、取った駒は捕虜ではなく、生きている人間であり、それを活用することは何ら虐待ではないと大見えを切っています。マッカーサーもこの敗戦時の日本で捕虜である日本人活用しないとこの占領政策もうまくいかないだろうと悟ったのでしょう。升田幸三の尽力のおかげで今私たちは将棋ができているのです。